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カテゴリー別記事一覧 : ソラノハナシ

ミューセンター

ミューセンター

内之浦宇宙空間観測所、ミューセンター。
廃止されたM-Vロケットをはじめ、数多くのロケットを送り出した場所である。
母の実家に近い、秘密基地のような場所。

そういえば、7年前、はやぶさが旅立ったのもこの場所だった。
画面の向こうで轟音と共に順調に旅立ってゆく彼を絶望的なまなざしで見ていたのをよく覚えている。

あのとき、正直言ってこの探査機が地球へ帰ってきてくれるなんて夢にも思わなかった。

ここまでロバストで強運な宇宙機だとは思っていなかったから。
途中で壊れて「おつかい失敗」を予想していた。

思い出せば、忘れられない出来事はいっぱいある。
タッチダウンの日、的川先生がWeb中継のカメラに向かってピースしたこと。
行方不明になったこと。そして、見つかったこと。
イオンエンジンがダメになったというプレスリリースを開いた時の絶望感。
そして帰ってきた日のこと。まるでそっと置いたようなカプセルの写真を見た瞬間、泣いてしまった。

7年間は長いようで短かった。俺は変わったようで何も変わっていない。
はやぶさ、よく帰ってきてくれたね。おかえりなさい。ありがとう。

撮影データ
Canon IXY DIGITAL 800 IS
CANON ZOOM LENS 4× IS 5.8-23.2mm 1:2.8-5.5
オート
ISO:オート
WB:オート

そこに、僕はいた。

そこに、僕はいた。

カメラは時代の雰囲気をありにままに記録することができる唯一の道具である。
少なくとも俺はそう思っている。

民間の曲技飛行チーム、エアロックエアロバティックチームが活動を終了するそうだ。
実は、このチームをはじめてみたときから、応援する一方で
いつか終わるだろうから、感情移入はしたくないなあ、と思っていた。
それはどこまでいってもロック岩崎さんの個人商店だと思っていた、というのも多分にあるのかもしれない。
それでも、何枚か写真がある。この写真はそのひとつ。

エアロックは、歴史に残るだろう。
日本最初の民間曲技飛行チームとして。
そして、エアショービジネスは日本においても曲がりなりにも成立しうるという証明として。

写真というのはいわば一種の"墓標"でもある。
なぜなら、撮影した自分や被写体となった人物の意思、
そして、そこにあったものと時代の雰囲気などを記録の名の下に"封印"してしまうから。
だからこそ、昔の人は"写真を撮ると魂が抜ける"などといった今となっては冗談みたいな話を本気で信じていたのだろう。

エアロックのスタッフたちは再起をめざすという。
いつしか再び彼らのチームと出会い、この赤いピッツがいた時代を明るく振り返れる日がくることを願ってやまない。

撮影データ
Canon EOS Kiss III
CANON ZOOM LENS EF 75-300 1:4-5.6III USM
FUJI SUPERIA Venus 400
エアロック アビアット ピッツS-2B(JA11AR)
2005.8.21.
但馬飛行場

中国の宇宙遊泳について

いろいろ思うことはありますが、中国の宇宙遊泳(@神舟7号)が成功しました。
関係者のみなさん、おめでとうございます。

個人的にはネット上で火病っている人を見ると、数年前に起きた一部の中国人大学生による反日運動の焼き直しを見ているようで何ともあれな気分になりますが、まあそれはいいとして(そういえば反日運動が起きた当時の評論に「暴徒の心理を助長すれば、最終的には自分たちが敗者になる」とあったがまさにその通りだと思う)。

日本が500億円出し、スペースシャトルを宇宙実験のために貸し切る代わりに、毛利さんを宇宙に連れ出したころ、中国はすでに有人宇宙飛行への取り組みを始めていました。

日本は迷走した揚句、2002年に今後10年間は有人宇宙飛行はしないとして、HOPE-Xの有人化案やカプセル型宇宙船の提案である「ふじ」を蹴ってしまった。
そういった「努力をしたかしなかったのか」という差は今、こうして、自前の有人飛行手段の有無、という現実として横たわっています。

日本はその過去から国威掲揚を研究開発の理由づけとして使えません(戦前、軍部の軍国主義に使われた事から「軍靴の音」として非常に嫌われる)。

そのような国の人間からすれば非常にうらやましい話ですが、中国は部外者から見る限り、純粋な技術開発というよりも、メンツというか国威掲揚のため、あるいは国内の問題から国民の目を背けるための手段として宇宙開発を続けてきたように思えます(2007年の1月に行った人工衛星の迎撃実験などはその例ともいえる)。

しかし、その一方で北京オリンピックに合わせてフライトを行わないなど、政治がらみのノルマはないようにも見られ、何を得るために行っているのかわからないのが中国の宇宙開発です。

(もし本当に中国の宇宙開発が国威掲揚のために行われているのならば、圧倒的優位に立った際にその意味を失ってしまいます。
宇宙開発にメンツ以上の意味を見いだせない政治家からすれば、メンツが立ってしまえば、当然、それにお金をかける必要性が見いだせなくなるからです。
たとえば、アポロ以降のアメリカがそう。スペースシャトルが経済的・技術的に失敗したのもこれが影響しています。)


いずれにせよ、中国が、このままの調子で宇宙開発に力を入れ続けるのなら、いつか、いずれかの分野で圧倒的優位に立てる時代がやってくるでしょう。
その時、中国の政治家は自国の宇宙開発事業にどのような判断を下すのでしょうか?

拡大か現状維持という名の縮小か、それとも方向転換か?
中国が宇宙開発を通じて本当に得ようとしたものが分かる日が非常に楽しみです。


航空オタが非オタ彼女に航空機を軽く紹介するための7エアショー

Hello world!>挨拶。

Ref:ミリオタが非オタの彼女にミリタリ世界を軽く紹介するための10両

自衛隊の行うそれは基地祭、航空祭とも言うけど、今日はエアショーへの入門記事を書いてみたいと思う。
なぜエアショー?と思われるかもしれないけど、エアショーは航空オタへの立派な登竜門ですからねw

どのくらいの数の航空オタが"同じ匂いのする"彼女をゲットできるか分からない。
実際、航空祭に行っても一人で来ている女の子はほとんど見かけないから。
でも航空オタの彼女がゲットできなくても彼女を航空オタに(言葉は悪いけど)「洗脳」しちゃえばいいじゃない?まるで世間一般に知られているマリー・アントワネットを彷彿させるような考えだけど、こういう考えもありだと思う。

そういうわけで今日は航空オタの彼氏が、非オタ彼女を「こちらの世界」へ引き込むのにお勧めなエアショーを独断と偏見で選んでみました。

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#126はなぜ堕ちたのか:事故後、行われた対策

今回も去年(2007年)10月に名古屋空港でMHIのIRAN(定期修理)明けのテストフライトでF-2B、43-8126号機が離陸に失敗し落下・炎上した事故について。

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#126はなぜ堕ちたのか:なぜ、誤接続が起きたのか?

さて、今回もF-2B、#126号機の事故調査報告の解説の続きです。
今回は事故原因となったジャイロの配線の誤接続が起きた理由、そしてそれがそのまま見過ごされた理由について公表された資料を元に解説します。

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#126はなぜ堕ちたのか:事故の概要

ナンダカンダ有って、無事地元に帰ってきました。最後はグダグダでしたけど。

さて、今回は去年(2007年)10月に名古屋空港でIRAN(定期修理)明けのテストフライトでF-2B、43-8126号機が離陸に失敗し落下・炎上した事故について。
だいぶ前に最終事故調査報告書の概要が公表されていましたが、ちょっと興味深い内容だったのでその他の資料や報道などを参考にして解説してみます。

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ロケットまつりに行ってきたよ。

お久しぶりです。MSがIE7を2月にばら撒くぞ、といっているので新しいデザインの製造に追われています。とりあえず、IE7配布前に全ページ完成させて検証だけは終わらせておかないといけないので(XP以前の環境向けのIE7は無い。そのためそれらの環境は自動的にIE6、もしくはそれ以外のモダンブラウザが対応環境となる)、毎日コーディング作業をやっていました(デザイン自体は去年の9月の段階で完成していました)。来月末までにリニューアルしたいな、と思います。

さて、昨日はその作業の手を止めて、新宿歌舞伎町にあるロフトプラスワンで行われたロケットまつりに行ってきました。

松浦さん、生浅利さんをはじめて拝めましたが、期待を裏切らずカッコイイ人たちでした。

今回はNECで衛星開発を担当したエンジニアさんのお話ですが、改めて、エンジニアの話って本当に面白いなー、と思いました。
ETS-I、旧NASDA初の人工衛星で後にきく1号と命名される人工衛星のお話。
この衛星の直径80cmの球に内接する26面体、という設計要求は実はNASDAがISASの衛星が欲しかったからなのだ、という話やNASDAの職員が試験を委託された構造試験用のモデルを次々とブッ壊してしまった、というお話、終業後、職場を飲み会の会場にしてコミュニケーションを図っていく、という話が印象的でした。

温故知新ではないですが、過去を調べると面白いことが分かってくるんですよね。
たとえば、今当たり前にやっているこの作業はなぜ行う事になったのか、ある時期から付くようになったこの部品はなぜ搭載されるようになったのか、とかだんだん察しがつくようになってくる。

それでも分からない部分が有っても、難問にぶつかっても、今ならどうしてこの結論にたどり着いたのか、とかどうやって類似の問題を解決したのか、という風に問うことや資料の間違いだって正すことができる。
聞ける人がいるから。聞けるうちに聞いておかないと、伝承できるうちに伝承しておかないとこういったノウハウは永遠に失われてしまう。そしてまた一からのやり直しになってしまう。
このノウハウはまるで養子をもらってくるように海外のものをポンと買ってきたり、委託した場合では得られない。
防衛省がコストの無駄だと叩かれつつも国産機の開発にこだわるのはこれなんです。
JAXAが国産の宇宙輸送システムと衛星をもつ、もうひとつの理由がこれなんです。


しかし、本当に面白かった。こういう話は本だけではなく当時の映像と一緒にDVDか何かにドキュメンタリーとしてまとめるべきだと本気で思うんですが(たとえばThe History of BLUE IMPULSEみたいな形で)、やっぱりブルーのそれよりも需要が限られちゃうだろうなー。


宇宙人に関する、個人的見解。

とりあえず、泣きながら、ステージ裏まで駆け抜けたい>挨拶。

UFOの存在についての政府の公式見解が防衛省まで巻き込んだ騒ぎになっていますが、個人的見解を。

まず、UFOはあくまでも"未確認飛行物体"なのであって、それが地球外生命体の宇宙船なり、鳥などの生物や自然現象、人工衛星や航空機など人工物の誤認であれ、正体が分かったらその時点でUFOではないと思うんですが...。

それはともかく宇宙に人類以外の生命体―知的生命体はいると考えます。ですがそれらが地球にやってくるとは思えません。
まず、それらが住んでいる可能性がある惑星は地球型惑星と呼ばれますが、最も近いそれ(グリーゼ876dと呼ばれる天体)で15光年も離れています。
相対性理論を持ち出すまでも無く、光の速さで移動できる物体は存在しませんから、移動時間は15年では済まされず、もっと時間がかかるでしょう。
そうなると生命体の個体の寿命が人類と同程度ならば、(このような概念があるのかは不明ですが)家族か街みたいなコミュニティをひとつ宇宙に飛ばすくらい大掛かりなものになるでしょう。そうなれば当然、宇宙船も巨大化・高価格化します。
ですが、地球外生命体がそれほどのものを作る技術があるのか、そして技術があったとしたらそのような出資に価値をみとめるのか大いに疑問です。

人類の例で行くとアポロ計画ではNASAに当時の日本の国家予算に匹敵する膨大な金額が投資されました。
しかしそれは月へ人を送ることへの科学的意義を認めたからではなく、あくまでもソビエトに勝つと言う政治的意図からでした。

ただ、ご丁寧なことに国際天文学連合によって宇宙人との接触の際の対応が決められています。

それによると、宇宙人からと思われる電波を受信したとしても信頼しうる証拠と判明するまでは公に公開してはならず、まず関連する国家当局に通報しなければならないとなっています。
また信頼できると判断された時点で国際天文学連合を通じて国連事務総長に知らせることになっており、返事も国際的同意を得るまで行ってはならないとなっています。

この規約が役に立つことは果たしてあるのでしょうか...。


It's All Over Now,Baby Blue.

そういえば、8年前の今日、浜松基地のエプロンでホームベースの松島基地へと帰る、T-4ブルーインパルスの46-5720号機を見送りました。

航空雑誌でみたロールアウト直後の姿。
松島基地航空祭で初めて一般の前に登場し、デザイナーの斉藤先生を乗せて飛んだこと。
松島基地のエプロンに青いT-4が初めて6機揃った日のこと。その中に#720もいたこと。
百里基地の航空訓練展示で非公式ながら初めてアクロを見せてくれたこと。
T-4ブルーの歴史そのものだったこと。
ゴールデン・エアタトゥーにブルーが参加したときは松島でお留守番したこと。
第十一飛行隊が公式な展示飛行で使った最初の予備機、という名誉なのか不名誉なのかよくわからない称号を得たこと。

あの日、俺の目の前をいつものようにタキシングしていったこと。
転がっていく#720とパイロットに手を振り、いつものように見送ったこと。
6機の僚機と一緒に滑走路を蹴り、空の向こうへと吸い込まれていったこと。
そしてそれが"生きている"#720を見た最後になってしまったこと。
どれも鮮明に覚えています。

2000年7月4日、#720と#727が墜落したこと、3人のパイロットが殉職したことは俺の人生と価値観をほんの少しだけ変えました。
もしあの事故がなければ、俺はちょっと違う未来にいたのかもしれません。


sputnik anniversary

1957年10月4日、ソビエトのロケット試験施設(当時。ソビエト連邦崩壊後の現在はカザフスタン共和国のバイコヌール宇宙基地になっています)から1機のA(SL-1)ロケットが打ち上げられました。

ペイロードはSputnik1。
そう、今日は世界初の人工衛星、スプートニク1号の打ち上げから50年目の記念すべき日です。

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ファイナル・タッチダウン

人に話したくないことを聞かれたとき、いやーそのことは覚えていないんですよね~と見え見えのウソをついてしまう自分がイヤだ>挨拶。


STS-118 エンデバーの打ち上げが成功しました。

今回のミッションで感慨深いのはチャレンジャー(STS-51L)の事故で殉職したクリスタ・マコーリフさんのバックアップクルーだったバーバラ・モーガンさんが、チャレンジャーの代替として生産されたオービターであるエンデバーに搭乗していること。
ミッションパッチをよく見るとリンゴは描かれていないものの、Teacher in Space Projectのロゴにあったたいまつ(知識の炎)が描かれています。


そういえば、最初にエンデバーに会ったのは1992年。発射台の上で白く輝くそれは、画面の向こうで、毛利さんを乗せ、宇宙へと駆け上がりました。いまから15年前の話です。

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